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20年以上前の、夢リスト

2016.12.21 (Wed)
もう遥かに昔にしたためた、
「夢リスト」が出てきた。

このリストを書いたころの私といえば、
悲しいとか、つらい、という感情と向き合うのが怖かった。
平気なフリをしているうちに、
平気になれることを祈りながら、ただ強がっていた日々ではある。

婚姻の終わりを見届けた頃でもあった。
離婚というよりは、私の側の失恋という感じの出来事、
泣き出したら止まらなくなりそうで、
自分を情けなく思ったり、不幸に思いそうで、怖かった、とでも言っておこうか。

傷口を洗う痛みに耐える元気が出るまで、
蒲の穂にくるまっていた方がよかったのかもしれないが
当時の私には、あの方法が精一杯のガンバリ、
そして、他の方法を知らなかった。

しばらくの間、この作戦は成功していたように思う。

だけれど、抑えに抑えた感情が、
自分では抑制しきれず噴出した夜がある。

気持ちの良い新緑の風が通る、5月の夕暮れ時のことだった。
友人の結婚、二次会パーティ会場の片隅で、楽しい余興の真っ最中、
突如、私は泣き崩れた。自分で自分に驚きながら。

そんな私を抱きとめてパーティ会場から連れ出してくれたのは、
心優しい友人たちだった。

彼女たちの優しさに甘えて、
ようやく感情のフタを外してたっぷり泣いた後、
「将来の夢」を考えはじめる一歩が踏み出せたように思う。

そんなときに作ったリスト。
昨日、はるか20年以上前のリストを見つけ、見返した。

ほとんどの夢がかなっていた。
驚くこともあるものだ。

「海外放浪」
「日本以外のどこかで暮らしてみる」
「日本人がほとんど行かないような南国でサバイバル」
「その後は見晴らしのよい山の上に暮らす」
「あざらしやオットセイがいる海の近くに住む」
「鳥の声で目を覚ます」

そもそも海外旅行とはあまり縁のない忙しい日々、
都会が生活の中心だった私からすれば、
実に、現実感の薄い「夢リスト」ではある。

いったい、どこから「あざらし」が出てきたのかは覚えていないし、
そんなことがリストに載っていたことさえ、
自分でも忘れていたのに、いつのまにか実現している。
今の家から国道に続く山道を降りれば、
そこはアザラシが住み着いている豊かなフィヨルドの入り江だ。
そして、毎朝、夜明けとともに、野鳥の大合唱で目が覚める。

笑えるほど、実に自分に対して正直な「夢」ばかり。
巷に胸を張っていえるような代物ではない。
大義名分もない。
誰かに言ったら笑われるであろう、だけど、それでも。
それだからこそ、純粋に、「私が好きなことだけ」が載っている愛しいリストとも言えるはず。

そして、ほとんど、かなっている。
……すべてのことに、ありがとうと思いながら、夢を味わっている。

さて、そろそろ、新しいリストを作ってみようか。
あのときのように、自分に正直に。
そう、他人が見たら「なんだそりゃ」と笑ってくれるくらい、正直なやつを。

今回のリストは、20年以上たったらまた、公開します(^^)


****皆さまの毎日が、すてきな日々でありますように****
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感謝のことばしか浮かばぬような、空の下。


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大陸の「若い」地域

2016.12.12 (Mon)
残雪…というよりは、まだ地面が凍っているタウンズエンド山の頂から
見渡す、オリンピック山脈。
地学的にはまだ「若い」西海岸は、こんなふうにゴツゴツとした岩山が多いのだそうです。


** 皆さまの毎日がすてきな日々でありますように **
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歩を進ませるたび、足元でパリパリと薄い氷が割れる音がする。
この厳しい寒さと、冷たく重い雪と氷の世界をこらえ生き延びたものたちを待っているのは、
短いけれどもまぶしくて美しい「命の日々」だ。

2016.11.29 (Tue)
人は生まれることによって
生命を生じたのではない

天地一杯の生命が 
私という思い固めのなかに汲みとられたのである

人は死ぬことによって
生命が無くなるのではない

天地一杯の生命が 私という思い固めから
天地一杯のなかにばら撒かれるのだ

              内山興正 法話より

内山興正:貧窮の寺に住み、ひたすら座禅修行に徹した、
昭和を代表する異色の名僧。


Misako (C) Hawaii
夕日を追って輝きを増しながら去っていく二つの光りの塊。
皆様と私の毎日が素敵な日々でありますように。

内山興正法話集~天地一杯の生命(全10枚)[CD] / 内山 興正

泣きたい時に

2016.01.23 (Sat)
■泣いたって、いいんだよな。

泣いたって、いいんだよな。

地球はいつだって、
泣きたくなるほど美しいんだから…

泣いたって、いいんだよな。

空だって、海だって、泣いた後は美しい。


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Misako American Samoa
皆様の毎日が素敵な日々でありますように。


■涙

氷混じりの冷たい嵐が過ぎた朝、
森からすーっと、二重の虹が伸びていきました。

うつむいて雨や嵐に耐えた後は、空を見上げるのを忘れないようにしていこう。
世界はいつでも、美しい。

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家から見える、林業の山。Misako Olympic Peninsula, WA, USA
"The soul would have no rainbow if the eyes had no tears." --John Vance Cheney
瞳に涙を湛えたことがなければ、魂に虹がかかることもなかっただろう。


■進んできた道

一体今まで、何をやってきたんだろう。
迷い迷って、くねくね、ぐるぐる、ちっとも進んでいないように思う日々。

だけどそれでも
振り向けば
歩いた道は確かに一本。

転んだデコボコ、
泣いてよろけた回り道。
あいたた、いたた、痛みにもがいてうずくまったあの坂道の、岩の陰。

一歩一歩、進んできた道のりは確かな事実だ。
そんな道のりが、駆け抜けた平坦の道と同じように愛しく思出だせることもまた、人生のいいところ。

だからまた
前を向いて歩いていこう。
やがて痛みは、過ぎ去るのだから。


Misako Oahu, Hawaii
海に稜線を沈めていくワイアナエ山脈のふもと、灯台に続く道で振り返った一枚。


■親友のように自分を扱う

誰にも見せず飲み込んだ涙の辛さ
堪えきれずに漏らしたため息の重さ
ひざを抱えて見上げた空の遠さ

飲み込んだもの、堪えたもの、手放したもの…

すべては自分を強くし磨いていく経験ではあるけれど

希望の種は大地に抱かれて、
優しい雨に浸されないと発芽できないことも、忘れてはいけないものとフと思う。

がんばろうと思う心は折れやすいもの。
折れた心はあちこちに刺さって痛いもの。

だけどどうか、そんなときこそ
自分を責めずに

たとえば、もしそれが自分のことではなくって、
大事な親友が泣きながら伝えてきたことなら、
私は一体、どういう態度をとるだろう…と考えてみるのも、
大切なこと、なのかもしれない
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Misako Olympic Peninsula, WA


■やりなおし
あいたたた、
痛い思いをしたときこそ思い出したい。

徒競走で転んだ子供が、
それでもゴールを目指し
立ち上がろうとしているときに送るような、あの大声援。

そんな声援を、
自分にだって送りたいもの。

…一生懸命なことには、なんの変わりもないはずで。

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ハワイに住んでいたのは11ヶ月。物価は高いけれど、美しい島でした。Misako Oahu, Hawaii
皆様の毎日が素敵な日々でありますように。
『人生のつまづきは、新しい人生へ向かう一つの契機に他ならない。
それ以外につまづきの意味を考える必要はないはずである』 佐藤 愛子(著者)


■季節の仕組み

人の力など到底及ばぬ、
なにもかもを拒むような雪ではあるが
春が来れば優しいそよ風になでられて
あっさり溶けて消えてしまう、はかない存在でもある不思議

…そしてこんなに厳しい冬の後には、必ず春がめぐってくるという安心感

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Misako Olympice Peninsula, Washington


■待ってみる

いつのまにやら、ずいぶんと弱虫になったような気分になる時
他人様は簡単にこなしていること、昔の自分には簡単だったこと、
今は遠く、手の届かなくなってしまったような、自分の力。
できなかったこと、失敗したこと、悔しさ、情けなさの渦巻きに溺れてしまいそうだ。

私は本当に、強かったのだろうか。
すべては単なる思い上がりだったのだろうか。
頼みの綱にしていた「希望」は、「甘い考え」だったのだろうか。

泣きつかれて眠りに落ちて、泣きたくって目が覚めて…
苦しくて、辛くって、…生きていることさえが苦しいと思うとき、
気持ちが引き潮に巻き込まれたように弱まるときというのは、
何らかのリズムで、誰にでも等しく訪れるものかもしれない。

だけど、それでも…

やがてもう、届かないだろうと思っていたほどの彼方から、
いつしか、力は戻ってくるものだ。

引いた潮が必ず満ちてくるように
ひたひたと、豊かに溢れてくるように
暖かい気持ちになれる日は、必ず、フイに訪れる。

動けないならしばらく動かなくてもいい。
つらすぎるなら逃げたっていい。
身を守るために隠れることだって一つの手段だ。
悲しいのなら、泣きながらすごしたっていいと思う。

本当に辛いとき、苦しいときには忘れがちなことだけど、
いや、忘れがちなことだからこそ、いつも心にしっかりと抱いていたい。
この状態が永遠に続くことはない、ということ。

失敗したのなら、そこからなにか学べることがあるかもしれない
自分で工夫できることも、あるかもしれない。
まだまだいけるかもしれない。
だいじょうぶかもしれない。

つらい今日と明日をつないでくれるのは、そう、希望だ。
根拠じゃない。
他人様を納得させるだけの理屈じゃない。
頑張る自分を信じてあげること。

苦しいのは、頑張ろうとしているから、と思い出すこと。

…本当に苦しくって辛いのは、そこまでだから。


Misako (C)Hawaii
車でしか行けないビーチは、人がほとんどいません。太平洋と、貿易風のみ。その先に続く、故郷を思う。


■道
忘れがちなことだけれど

私たちはいつだって
自分の道は、自分で決めて歩いている存在なのだと
フと思う。

人生は大なり小なり決断の連続だ。
そして誰もが、かけがえのないそれぞれの道を歩いている。

胸を張って歩いていこう。
だれがなんと言おうと、自分の信じる道ならば。

幸せの形は、人それぞれ。

fly away
Misako (C) Hawaii
ハワイ・ビッグアイランドの最南端に続く風の道。その先は、海に飛び込むもよし、風になって超えていくもよし。
もちろん、選択肢はまだまだあるはず。それを思えばワクワクしてくる


■深呼吸

心が穏やかでいられるか、波立つかは、
「できること」と「できないこと」、
「今、あるもの」と「今、ないもの」
「やりとげたこと」と「できなかったこと」
…両極のどちらに関心を寄せるかによって、簡単に変わるもの。

わかっちゃいるけど…そんな気分になった日は、
全部無視して上を向いて深呼吸。あー、気持ちいい!

気持ちいいってことはさ、それだけで実はすごいことなんだよね。って、
旅の途中で誰かが教えてくれたっけ。

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Misako (C) 2004 Hawaii
風が渡って、梢がさざ波のような音を奏でる中、ときどき、鋭い小鳥の声が走っていく。
透き通った音、光り、風の中。


■アロハの語源

アロハの語源には、いくつかの解釈がありますが
その中に、暖かくてステキなメッセージがあります。

旅の途中で、
こんにちは、などと訳されることの多いアロハの言葉の根幹は、「慈しみ」と教わりました。


・尊重と思いやり・おだやかさを忘れないように生きていこうね
・助け合うことによって生まれるハーモニーを楽しもうね
・明るい方向へ想いをチューニングしようね
・なにがあっても謙虚な気持ちは忘れないでね
・上の4つの教えを辛抱強く守れば充足の光に包まれる

ハワイ語でこの5つを書き出して、頭文字をあわせるとALOHA。
私はこのアロハが大好きなんです。
ハワイ語の勉強不足で、正しいスペルがわからなくてお恥ずかしい☆お許しくださいませ。

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Misako Hawaii
実にいろいろな表情を見せてくれる木々と空、そして宙にダイビングしていく青。


■強さと優しさ

コンクリートやアスファルトで固められた地面にもがいて、よじれて育った幹や枝
排気ガスで汚れた表面はゴツゴツとこぶになり、傷口に涙を湛えつつ
そこらの空気を染めるほどに満開の花を見せてくれる老木は、
なんと優しい存在なのだろう…とフと思う。

Sakura2003April1.jpgMisako Tokyo, Japan


■美しさ

捻じ曲がって枝分かれしながらも
空へ空へと伸びていく姿は美しい。

まっすぐでなくてもいい
傷だらけだってかまわない。

使い古されたことばだけれど
やっぱりそれは、勲章だから。


Misako Hawaii Oahu
レ・アヒ(ダイヤモンドヘッド)のふもと付近の背の高い木。レ・アヒはハワイ語で、マグロのおでこ…この名前がダイスキです。


■エイ、エイ、オー!

ポリネシアの島々を赤く染める、ロイヤルポインシアナ。
火山地質で痩せた土地でも立派な大木に育ち、人々に木陰を与えてくれる木です。

ロイヤルポインシアナのつぼみは、小さな小さな握りこぶしたち。
空にむけて、エイ、エイ、オー!

力いっぱいのゲンコツのエネルギーを解き放つように開いたお花は、
優雅でおおらか、まるで翼をひろげたよう。
別名、鳳凰木(ほうおうぼく)というのもうなづけます。

皆様の毎日が素敵な日々でありますように。
鳳凰木の花を揺らす貿易風が、皆様の心まで届きますように。
私たちが、太平洋を渡る貿易風のように、どこまでも冒険を続けていけますように。


Misako (C)


■解き放たれる思いと命

人は生まれることによって
生命を生じたのではない

天地一杯の生命が 
私という思い固めのなかに汲みとられたのである

人は死ぬことによって
生命が無くなるのではない

天地一杯の生命が 私という思い固めから
天地一杯のなかにばら撒かれるのだ

              内山興正 法話より

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内山興正:貧窮の寺に住み、ひたすら座禅修行に徹した、
昭和を代表する異色の名僧。


■雨の中は、虹の中

雨が走っていった方向に、眩しいほどの虹が。
虹のふもとは、きっと盛大な雨がドラムを響き渡らせているはず。

雨の中にいるということは、
距離を置いて見てみれば「輝く虹のまっただなか」ということもある。
忘れたくない、宝物。

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Misako Olympic peninsula, Washington, U.S.A.
瞳に涙をたたえたことのない者には、心にかかる虹を愛でるチャンスは訪れない。アメリカ原住民の教え

皆様の毎日が素敵な日々でありますように。

水紋

2015.11.16 (Mon)
入江は、自然界の生き物だけがつけていく水紋で彩られていきます。

凍てつく冬を目の前に、最後の秋鮭が上ってきました。
入江に続く河口を見れば、
遡上を続ける鮭の背びれが、いくつも水面に出ていることもあります。

空を写しこんだ静かな水面に、プクンと鵜が顔を出しました。
身体は浮かんでおらず、まるで潜水艦のよう。
一方、ルーンという水鳥は、顔だけを水の中に浸け、静かに水面を割っていきます。

やや大きな水紋は、あざらし。
水紋が波になると、あざらしのまぁるい頭が出てきます。
この時、あざらしは水面の様子を観察するため、「立泳ぎ」をしているそう。

遠くに、たおやかな波…クジラの仲間が泳いでいきます。

鮭、魚、それを追う水鳥たち、あざらし、クジラの仲間、そして時々、シャチも訪れるこの入江。

そんな光景を、邪魔をせずに見つめられることは
なんと贅沢なことだろう、と感謝をしつつ
どうか、この風景が長く続いてくれることを祈りつつ

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森の道

2015.09.02 (Wed)
ワシントン州北部の、氷河が作った湖の岸辺を行く森の道です。
第一次世界大戦中、木材を運ぶための線路として開拓されたそうですが、
戦争が早く終わり、国立公園の一部として
家族連れにも優しい、背の高い木々のトンネルを行く散歩道を提供してくれています。
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森の道のそこここに、見上げるほどのヒノキの大木が。
国立公園内なので、もう切り倒される心配はありません。
1000年は生きられるというヒノキ、この木はまだまだ育つそうです。
これからも森や空をながめながら、ゆっくり育ってくれますように。平和な時代が続きますように。
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2015.03.25 (Wed)
西行、松尾芭蕉、山頭火…
私の憧れは、やっぱり今も旅の詩人だ

寂しさに泣きながら
自分の決断にもがきながら

大自然の美しさや厳しさを
心のゆらぐまま
歩を進めるまま
祈るように言葉に紡いでいく日々
言葉を紡ぐことだけに頼る日々

夢を現実に置き換えた時の重さに負けない気力と体力、そして実力を身に付けるべく
憧れに値する人となれることを夢見て

未だ憧れはやまず、といったところだ


******* 皆様の毎日がすてきな日々でありますように *******
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森を深く分け入っていくと、やわらかい苔をたっぷり身にまとったメープルの木がお日様を浴びて光っていました。

嵐を抱える谷

2015.03.10 (Tue)
山登りにはまだ少々早い時期ですが
南に向いている斜面に続く山道を登ってきました。

南の頂上について、北へ降りていく斜面へ歩を進めようとしましたが、そこは別世界。
嵐になぎ倒された木々で、山道はすっかり閉ざされていました。

ここは、北太平洋からの嵐や吹雪を、冬の間中ずっと抱えてくれる谷なのでした。

深い谷と壁のごとき山脈のおかげで、
私がいる集落は、冷えこんでも雪が積もっても、
この山が経験しているほどに激しい暴風雨に見舞われることはありません。


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林から一歩前で谷を見つめていたこの樫の木は、雷に打たれたのでしょう。
後ろに連なるもみの木の銀色の木肌を前に、悲しい美しさを見せていました。
f
樫の木はのんびりと新芽を出すので、夏になったらあるいは、かわいい葉が見られるかもしれません。
それとも、岩肌にかじりついているもみの木たちを支える、土へと戻っていくのかも…。

フィヨルドの入江

2015.01.29 (Thu)
今年の冬はおだやかで、入江も凍らず、一息ついているよう。

上流で産卵を終え、入江まで戻された姿まんまのシャケの骨、
岩にしがみついて育っている牡蠣、
それから冬の間だけ入江で漁をしている海鳥の姿が
どこまでも透明な水の中で揺らめいています。

冬の間、晴れることが少ない北西部には、とっておきのご褒美の一時。

****皆様の毎日がすてきな日々でありますように****
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人は涙で優しくなっていくものかもしれない

2015.01.25 (Sun)
アメリカ北西部の山小屋で、しんしんと降り積もる雪を見ているうちに、
高校のころ、大雪が降った日を思い出した。

私は当時、複雑な事情によって学区外からの遠距離通学。
世の中の仕組みから、なんとなく取り残された形で、
ほぼ、一人暮らしをしていたころだ。

友人たちと駅前の喫茶店で楽しくおしゃべりをしたあとで……
一人のお嬢さんが、雪がすごくて怖い、といいだした。

彼女のお父さんがお迎えに来てくれるという駅は私も通る駅だったので
お迎えが到着するまで、つきあう役目を引き受けた。

友人たちは、自分たちも家に帰れなくなるといって
私たちに付き合うこと無く早々に引き上げたのだけれど

実はそのお嬢さんが、「育ちの良さが輝くばかり」とでもいうか、
あまりにも「お嬢さん、お嬢さん」としていた人なんで……
思春期の私たちには受け入れがたい存在だったのは、また事実。

けれど私にはなんとなく、彼女の言動や行動は、
彼女にとっては「きっとそれが自然なのだろうなあ」と思いあたるのだった。

頭の片隅で、かつては私にもそういう時期のあったことを、
「懐かしく」思い出させるような人だった。
彼女の無邪気さをまぶしく思う、とでも言っておこうか。

彼女のお父さんが迎えにきてくれるはずの駅舎について、
私はしばらく、彼女の軽やかなおしゃべりを聞いていた。

空はひたすら、灰色だった。
地面に降りればまばゆい雪も、
舞い落ちる時には、自らの影で暗くて黒い。

「ねえミサちゃん、明日、学校はお休みになるかしら? どう思う?」
サテンのリボンがあしらわれた、クリーム色のモヘアの手袋で頬を抑える彼女。

そんなことが自然に似合う、
かわいらしい彼女の姿を、私はぼんやりと見つめていた。
「さあ、どうなるだろうねえ」そんなことを、できるだけ優しく返事をしたように思っている。

この子だけは傷つけてはいけないような、
自然に守ってあげたくなるようなお嬢さん。
ずっとこのまま、愛され守られなんの苦労もなく育っていって欲しい…
と、願わずにはいられないお嬢さん。

やがてお父様がチェーンを履かせたタイヤを鳴らしつつ、
高級車を運転して到着された。
かつて、私の父が乗り回していた車と同車種だった。

彼女は迷うことなく車に乗り込み、
二人は同じ笑顔で私に手をふり、去っていった。
友人の輝く笑顔はお父様ゆずりなのだなあ、と考えながら、ぼんやり見送った。

車が雪に消えていくのを見送ってから、
雪交じりの風が吹きぬけるホームに下りる。
私が向かう駅へ行く方面の電車は、雪のため停電、運転見合わせになっていた。

自分の家は電車を乗り継ぎ、またその先を乗り継ぎ、
隠れ家でもあった我が家までは、
まだまだ先の長い旅であることを、

そして一番心配せねばならぬのは、
なにより我が身であることを、そこで思い出した。
うかつであった。

さっき笑顔で別れた彼女たちにしてみたって
きっと私にもお迎えが来るものなのだ(親が来ないわけがない、こんな雪だもの)と、
あえて意識するまでもなく、当然のこととして、
他の可能性など考えにも及ばなかったのだろう。
実際、当の本人でさえ忘れていたことだ。

きっと私が幼いころのあのまま、
ずっと「お嬢様」でいられたのなら、
私だって、運転手が開けてくれるドアから暖まった車に飛び込み、
笑顔で手をふる側にいたはずだ。何も考えずにいられたはずだ。

そうして、凍えている側を意識せずにいられる、ということは、
みんなも自分と同じくらい恵まれているのだ、と疑わずに信じていられることは、
実はなんと、ぜいたくなことであろうか。

彼女たちとは「当たり前」が共有できない世界へ、私は転げ落ちたのだった。
こんなことに思いあたってしまった高校生の私は悲しい。

私の前に広がる夕闇の雪景色はどこまでも青かった。
東郷青児を思い出すような藍色のグラデーションが連なっていく。

亡くなった母親が好きだった色使いだ。
だんだん藍色が濃くなって、空は夜に飲み込まれていく。

やがて線路沿いに暖かい橙色の光がチラチラと揺れはじめ
その景色を切り取れば夢のように美しいけれども、
ホームは寒くて冷たい風が吹き抜けるばかり。

駅員も線路の点検に忙しく、
雪が吹き付けるホームの柱の陰に、まさか高校生が震えているなどとは、
微塵にも思わないだろう。

私は一人なのだった。

それが、紛れも無い現実だった。

しっかりしなくては。
泣き崩れてみたところで、だれも助けようがない。
抱きとめてくれる家族も、もういない。

父の事業の失敗で、世の中から逃げまどっていた時期である。
母親は逃亡生活中に亡くなった。
兄は痛みにこらえきれずに酒に溺れた。

いろんな補助の「仕組み」からも取り残された私は、
いつも一人だった。
それでも、他人様の「哀れみの目」にさらされることだけは避けたかった。
大丈夫なフリ、「フツー」のフリをすることだけが、私に残された鎧のようだった。

一人で起き、一人で食事をとり、空っぽの家を出て、
長い長い通学路を一人でたどるうちに
「そこらにいる高校生」の仮面をつけていく。
最寄りの駅からは
「みんなと同じ」ように思われるよう、十分に気をつけて過ごす。

遊びに誘ってくれる友人にはあれこれ言い訳をつけ、
長い長い通学路をたどるうちに、「フツーの高校生」の仮面をはずしていく。
安普請の貸家の並ぶ、さみしげな街の外れの、
荒れた墓地に並ぶみじめな家に戻ると、
それでも一息、ほっとした。

アルバイトをしていたパン屋で出る、廃棄処分になった売れ残りを持ち帰り、
ボンヤリと一人で食事をすませ、風呂に入り、一人で眠る。

父親は逃げ惑う生活をしていたから滅多に家には戻らなかったが、
誰にも面倒を見てもらっていない、ということが誰にもバレてはいけなかったから、
制服やハンカチにはアイロンをあて、
学校で食べる弁当だけは、それなりの手間をかけて作っていった。

慰めてもらって癒える傷ではないのだから、自分の不幸を口にしないこと。
失ったことを、うじうじ考えないこと。
過去の裕福さは、過ぎたこと。

頭でわかってはいても、心が納得するのはまた別の話である。

冷たく重たい「不運」の轍がゆっくり通り過ぎていくような日々ではあった。
寒さに指先の感覚がなくなるように、
悲しみの感覚も麻痺していたように思う。

己の弱さを知っている私の心が、
あえて感覚を麻痺させてくれたのだろうか、とも思う。
ただ、寒さに麻痺すればやがて凍え死んでしまうように、それは、危険な道のりでもあった。

***

吹雪が少し収まり、
ようやく電車がきたのは、何時間後だったろうか。

そこから記憶は少し飛び、次は、とっぷりと夜に飲み込まれた自宅の最寄駅にて。

思い出すのは、なにもかも白く覆われ、車も人もおらぬ、ただひたすら静寂の夜の街の風景だ。
外灯に照らされたまっしろな雪を蹴りながら、
なぜか家とは反対方向に歩いていた自分。

あの夜私は、どこへ行こうとしたんだろうか。
そして私は、一人で泣いていたんだろうか。

……泣くことが、できたのだろうか。

***

あれから、何十年という月日がたった。
人は涙で優しくなっていくものなのだろう。

優しい笑顔をみせているあの人も、誰にもわからぬ痛みを抱えているのかもしれない。
怒りに翻弄されているあの人も、耐え難い苦しみにもがいている最中なのかもしれない。
それは誰にもわからないが、
誰もがかけがえのない人生を生きていること、それだけはいつでも事実だ。

人生は、宝物。

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2014.12.17 (Wed)
おいで、おいでと誘われるままに森の小道を進む幸せ。
今頃は深い雪の中で眠っている、お気に入りの山道です。
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皆様の毎日がすてきな日々でありますように。

鏡の湖

2014.11.11 (Tue)
自分の周り全てを映し込んでいる山あいの静かな湖が、
向こう側の山の頂とその上にかかる雲までを足元まで運んできてくれました。

訪れる人々も少なくなった秋の山、雪に閉ざされるまであと数日というところ。
すぐには行けなくても、「そこにある」という安心感。

****皆様の毎日がすてきな日々でありますように****
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ワシントン州、オリンピック山脈の合間の小さな湖。
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