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何を恐れていたんだろうか

2005.11.11 (Fri)
日本で生活をしていたとき、
私にとって「都心」というのは「忙しく駆け抜ける場所」だった。
歩みを緩めることも立ち止まることも、
なんだか許されていないような感覚で、
ビルからビルに駆け回っていたものだった。

走っているうちにどんどん焦りが増して、止まることが怖かった。
都会で暮らすのは、私にはムリ!と思っていたけど…

都会に長く住む友人とおしゃべりしながら一緒に歩いた後、
ふと街を歩くことが楽になり、見上げた空は美しい夕焼けだった。
足を止めて、写真を一枚いただいた。

ああ、キレイだなぁ。
どこにいたって、急ぐことも止まることも、自分次第なのだと思い出す。

IMG_0122.jpg
Misako (C) 2005 Tokyo, Japan
人込みに入ると迷子の猫状態になる私が、
珍しく見上げた空は…優しいピンクの夕焼けでした。

皆さんの毎日が、素敵な日々でありますように。
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会いたいなぁ

2005.09.22 (Thu)
私の母親は、私の父親と出会ったとき、
幼い兄をつれて洋裁店を切り盛りする未亡人だった。

やがて私を身ごもり、父親は生活を共にするようになった。
昔のこととて、いろいろ大変だったようだ。

周囲のいろいろもあってのことだろうが、
私の両親はずっと籍を入れずにいたので、
我が家には苗字が二つ存在していた。

私はそのことについて格別な思いはなくって、
周囲の大人に、不思議に思わないの?
あなたはボケッとしてるわね…なんて、笑われた。

私はとにかく家族に精一杯愛されて大切にされていたので、
それ以外のことはどうでもよいこと、と、
心のどこかで思えていたのかもしれない。

やがて私が13歳になったとき、
父と母は書類上も夫婦になった。

夕方の富士山が見える海辺の道を走り、
小さなレストランで記念の食事をした。
二人は嬉しそうだった。
そして丘の上に、小さな一軒家を購入した。

緑のススキ野原が広がっていて、
遠くから風が渡ってくるのが見えるような場所だった。

そして半年も立たぬうちに、家産はやぶれ、
私たち家族は物理的なものは全て、失った。

母はそれでも笑顔で家族を支えながら、
寒い寒い冬の夜、頭が痛いと言って倒れ、
そのままあっさり、逝ってしまった。

父親と兄はそれまでこらえていた確執を一気に吐き出し、
私はオロオロとするばかりで
家族はあっという間にバラバラになった。

寂しくて
悲しくて
懐かしい幸せの日々を考えることすら苦しくて…

頬をさすような冬の風は痛いほど冷たいのに、
夕日や夕焼けは色だけが暖かくって、
暖かいようなふりをしていて、
実際は手も届かず、暖まりもしないのに、
夕焼けなんて、暖かさを見せ付けているだけの、
とっても意地の悪いもの…そんな風に思ったり。


夕焼けが好きな自分に戻るまで、
ずいぶん時間がかかったように思う。

もう手の届かない思い出になってしまったことだとしたって、
私は愛されて幸せな子供だったと、感謝をこめて思い出すまで
ずいぶん、ずいぶん、時間がかかったように思う。

昨日、母親の歌っていた歌を、声を思い出したら、
なんだかとても、会いたくなった。
走りよって抱きついて、ありがとうを、言いたくて。


Misako(C)2005 Yokosuka, Japan
夕日がなめらかにのびる夕凪の海と、富士山のシルエット、そして空が、宇宙に続く。

骨のうたう / 竹内浩三

2005.08.15 (Mon)
詩人・竹内浩三
…抱きしめたいような心を持ち、素直な言葉で詩を読み、23歳・フィリピンで戦死。
終戦記念日によせて、彼の代表作より「骨のうたう」を紹介させていただきます。




骨のうたう
                   竹内浩三 作
                   中井利亮 補作

戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった

ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

P6030023.jpg
Misako(C)Japan 2004
風に踊る雲と輝く夕日と凪の海、そしてうっすら富士山のシルエット…私のふるさと

いろいろな背景や視点、考え方の違い、知らぬ事実、誤解、
知らされておらぬ事実はあふれているのだろうけど、
忘れたくないのは例外のない真実…誰もがかけがえのない人生を生きているということ







著者: 竹内 浩三, 小林 察

タイトル: 竹内浩三全作品集 全1巻 日本が見えない


以前の日記で、『著作権保護期間をすぎている作家ですので、
代表作はネットでも探せると思います』と書きましたところ
先日、竹内浩三のホームページをつくっておられる森さんから、
コンタクトをいただきました。森さんありがとうございます。
森さん主催のページはこちら→"五月のように"
竹内浩三の作品集や、関連活動も掲載されておられます。



あれから1年

2005.05.21 (Sat)
1年前は、季節外れの嵐が来る前のこんな夕焼け空の下…

日本を離れる1ヶ月前、
ひょんなご縁から三浦半島の港町に寄宿していたときの写真です。


いつだって旅立つ者より、見送る者の方が寂しいもの…
笑顔で旅立つのがせめてものマナーなどと自分に言い聞かせながら、
それでも

みんなの暖かさに涙、涙の日々だった。



どうかみんなが今日も笑顔で過ごしておられますように…
それは旅人のエゴだと言われても、そう願わずにはいられない。

P5180012.jpg


空の中の黒いポッチは、これまた永遠の旅人(鳥)ツバメ君です。

よく生きてきたと思う 

2005.03.16 (Wed)
嵐続きの毎日ですが
南国といえども南半球はそろそろ、秋。

朝晩、少し涼しいこのごろです。

日本ではそろそろ、
「桜前線」なんて言葉が天気予報に
出てくるころかしら…。



南半球、秋の夜長…今日は私の好きな詩人をご紹介します。

■竹内 浩三 
代表作・「日本が見えない」 「骨のうたう」 「三ツ星さん」など

*下記、「ぼくもいくさに征くのだけれど」 より抜粋

 だれもかれもおとこならみんな征く
 ぼくも征くのだけれど 征くのだけれど
 なんにもできず
 蝶をとったり 子供とあそんだり
 うっかりしていて戦死するかしら
               
  …抱きしめたいような心を持ち、詩を読み、23歳・フィリピンで戦死。


*著作権保護期間をすぎている作家ですので、代表作はネットでも探せると思います。
その中から、私のお気に入りを一つ。


■■よく生きてきたと思う 竹内 浩三■■

よく生きてきたと思う
よく生かしてくれたと思う
ボクのような人間を
よく生かしてくれたと思う

きびしい世の中で
あまえさせてくれない世の中で
よわむしのボクが
とにかく生きてきた

とほうもなくさびしくなり
とほうもなくかなしくなり
自分がいやになり
なにかにあまえたい

ボクという人間は
大きなケッカンをもっている
かくすことのできない
人間としてのケッカン

その大きな弱点をつかまえて
ボクをいじめるな
ボクだって その弱点は
よく知ってるんだ

とほうもなくおろかな行いをする
とほうもなくハレンチなこともする
このボクの神経が
そんな風にする

みんながみんなで
めに見えない針で
いじめ合っている
世の中だ

おかしいことには
それぞれ自分をえらいと思っている
ボクが今まで会ったやつは
ことごとく自分の中にアグラをかいている

そしておだやかな顔をして
人をいじめる
これが人間だ
でも ボクは人間がきらいにはなれない

もっとみんな自分自身をいじめてはどうだ
よくかんがえてみろ
お前たちの生活
なんにも考えていないような生活だ

もっと自分を考えるんだ
もっと自分を知るんだ

ボクはバケモノだと人が言う
人間としてなっていないと言う
ひどいことを言いやがる
でも 本当らしい

どうしよう
ひるねでもして
タバコをすって
たわいもなく
詩をかいていて

アホじゃキチガイじゃと言われ
一向くにもせず
詩をかいていようか
それでいいではないか
P3310019.jpg
Misako Yanagi (C)
2003年・品川の桜ごしに仰ぎ見た、日本の春の優しい空、故郷。
皆さんの毎日が素敵な日々でありますように。


タイトル: 竹内浩三全作品集 全1巻 日本が見えない
著者: 竹内 浩三, 小林 察


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