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会いたいなぁ

2005.09.22 (Thu)
私の母親は、私の父親と出会ったとき、
幼い兄をつれて洋裁店を切り盛りする未亡人だった。

やがて私を身ごもり、父親は生活を共にするようになった。
昔のこととて、いろいろ大変だったようだ。

周囲のいろいろもあってのことだろうが、
私の両親はずっと籍を入れずにいたので、
我が家には苗字が二つ存在していた。

私はそのことについて格別な思いはなくって、
周囲の大人に、不思議に思わないの?
あなたはボケッとしてるわね…なんて、笑われた。

私はとにかく家族に精一杯愛されて大切にされていたので、
それ以外のことはどうでもよいこと、と、
心のどこかで思えていたのかもしれない。

やがて私が13歳になったとき、
父と母は書類上も夫婦になった。

夕方の富士山が見える海辺の道を走り、
小さなレストランで記念の食事をした。
二人は嬉しそうだった。
そして丘の上に、小さな一軒家を購入した。

緑のススキ野原が広がっていて、
遠くから風が渡ってくるのが見えるような場所だった。

そして半年も立たぬうちに、家産はやぶれ、
私たち家族は物理的なものは全て、失った。

母はそれでも笑顔で家族を支えながら、
寒い寒い冬の夜、頭が痛いと言って倒れ、
そのままあっさり、逝ってしまった。

父親と兄はそれまでこらえていた確執を一気に吐き出し、
私はオロオロとするばかりで
家族はあっという間にバラバラになった。

寂しくて
悲しくて
懐かしい幸せの日々を考えることすら苦しくて…

頬をさすような冬の風は痛いほど冷たいのに、
夕日や夕焼けは色だけが暖かくって、
暖かいようなふりをしていて、
実際は手も届かず、暖まりもしないのに、
夕焼けなんて、暖かさを見せ付けているだけの、
とっても意地の悪いもの…そんな風に思ったり。


夕焼けが好きな自分に戻るまで、
ずいぶん時間がかかったように思う。

もう手の届かない思い出になってしまったことだとしたって、
私は愛されて幸せな子供だったと、感謝をこめて思い出すまで
ずいぶん、ずいぶん、時間がかかったように思う。

昨日、母親の歌っていた歌を、声を思い出したら、
なんだかとても、会いたくなった。
走りよって抱きついて、ありがとうを、言いたくて。


Misako(C)2005 Yokosuka, Japan
夕日がなめらかにのびる夕凪の海と、富士山のシルエット、そして空が、宇宙に続く。
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歌を忘れたカナリヤは…

2005.09.20 (Tue)
夕方でもない、夜でもないほんの一瞬、
水平線の向こうには地球の影が帯になって現れる。

レアヒ(ダイヤモンドヘッド)の上に満月が昇って、
月明かりが波に揺れながら足元を洗ってくれた。

…幼いころ、よく母親が歌ってくれた西条八十の「カナリヤ」を思い出した。

歌を忘れたカナリヤが、再び歌いだすために必要なのは
罰でも脅しでもなく、大事にしてあげることなのよねぇ…と
髪をなでつつ歌ってくれた、母の白くて細い指と優しい声もよみがえる


西条八十の「カナリヤ」については著作権が存続しているので、
歌詞についてはコチラをごらんください


P7010025.jpg
Misako(C)2004 Oahu, Hawaii

触れる空

2005.09.18 (Sun)
米領サモアツツイラ島に来る前、
3ヶ月ほどハワイにいた。
まもなくハワイを後にするころ、何もかも歯車が狂いだしたようで、
私はひどく苦しんでいたんだけれども…
朝の風、朝の光りには本当に癒された。


Misako (C) 撮影2004・ハワイ
まだ、観光地の看板が眠るワイキキ海岸はどこまでも静か
日の出ほんの少し前、空を映しこんだラグーン
世界はお互いを映しあっているものかもしれない
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