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フィヨルドの入江

2015.01.29 (Thu)
今年の冬はおだやかで、入江も凍らず、一息ついているよう。

上流で産卵を終え、入江まで戻された姿まんまのシャケの骨、
岩にしがみついて育っている牡蠣、
それから冬の間だけ入江で漁をしている海鳥の姿が
どこまでも透明な水の中で揺らめいています。

冬の間、晴れることが少ない北西部には、とっておきのご褒美の一時。

****皆様の毎日がすてきな日々でありますように****
Hoodcanal_20150130084134ce5.jpg

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雪の夜

2015.01.25 (Sun)
しんしんと降り積もる雪を見ているうちに、
高校のころ、大雪が降った日を思い出した。

私は当時、複雑な事情によって学区外からの遠距離通学。
世の中の仕組みからなんとなく取り残された形で、
ほぼ、一人暮らしをしていたころだ。

友人たちと駅前の喫茶店で楽しくおしゃべりをしたあとで……
一人のお嬢さんが、雪がすごくて怖い、といいだした。

彼女のお父さんがお迎えに来てくれるという駅は私も通る駅だったので
お迎えが到着するまで、つきあう役目を引き受けた。

友人たちは自分たちも家に帰れなくなるといって
私たちに付き合うこと無く早々に引き上げたのだけれど

実はそのお嬢さんが、育ちの良さが輝くばかりというか、
あまりにも「お嬢さん、お嬢さん」としていた人なんで……
思春期の私たちには受け入れがたい存在だったのは、また事実。

けれど私にはなんとなく、彼女の言動や行動は、
彼女にとっては「きっとそれが『フツー』なのだろうなあ」と思いあたるのだった。

頭の片隅で、「懐かしい自分」を見るような…
かつては私にもそういう時期のあったことを、「懐かしく」思い出させるような人だった。
彼女の無邪気さをまぶしく思う、とでも言っておこうか。

彼女のお父さんが迎えにきてくれるはずの駅舎について、
しばらく、彼女の軽やかなおしゃべりを聞いていた。

空はひたすら、灰色だった。
地面に降りれば白い雪も、
下から見上げた時には自らの影で暗くて黒い。

「ねえミサちゃん、明日、学校はお休みになるかしら? どう思う?」
サテンのリボンがあしらわれた、クリーム色のモヘアの手袋で頬を抑える彼女。

そんなことが自然に似合う、
かわいらしい彼女の姿を、私はぼんやりと見つめていた。

傷つけてはいけないような、
自然に守ってあげたくなるようなお嬢さん。
ずっとこのまま、愛され守られなんの苦労もなく育っていって欲しい…
と、願わずにはいられないお嬢さん。

やがてお父様がチェーンを履かせたタイヤを鳴らしつつ、
高級車を運転して到着された。
かつて、私の父が乗り回していた車と同車種だった。

二人は同じ笑顔で私に手をふり、去っていった。
友人の輝く笑顔はお父様ゆずりなのだなあ、と考えながら、ぼんやり見送った。

車が雪に消えていくのを見送ってから、
雪交じりの風が吹きぬけるホームに下りる。
私が向かう駅へ行く方面の電車は、雪のため停電、運転見合わせになっていた。

自分の家は電車を乗り継ぎ、またその先を乗り継ぎ、
まだまだ先の長い旅であることを、

そして一番心配せねばならぬのは、
なにより我が身であることを思い出す。

実際、当の本人でさえ忘れていたことである。

さっき笑顔で別れた彼女たちにしてみたって
きっと私にもお迎えが来るものなのだ(親が来ないわけがない、こんな雪だもの)と、
意識するまでもなく、当然のこととして、
別の可能性など考えにも及ばなかったのだろう。

きっと私が幼いころのあのまま、
ずっと「お嬢様」でいられたのなら、
私だって、笑顔で手をふる側にいたはずだ。

そうして、意識せずにあちら側にいられる、ということは、
みんなも自分と同じくらい恵まれている、と疑わずに信じられることは
実はなんとしあわせで、ぜいたくなことであろうか。

彼女たちとは「当たり前」が共有できない世界へ、私は転げ落ちたのだった。
こんなことに思いあたってしまう高校生の私は悲しい。

目の前に広がる夕闇の雪景色はどこまでも青かった。
東郷青児を思い出すような藍色のグラデーションが連なっていく。

亡くなった母親が好きだった色使いだ。
だんだん藍色が濃くなって、空は夜に飲み込まれていく。

やがて線路沿いに暖かい橙色の光がチラチラと揺れはじめ
その景色を切り取れば夢のように美しいけれども、
ホームは寒くて冷たい風が吹き抜けるばかり。

駅員も線路の点検に忙しく、
雪が吹き付けるホームの柱の陰に、まさか人がいるとは思わないだろう。

私は一人なのだった。

これが、紛れも無い現実だった。

しっかりしなくては。
泣き崩れてみたところで、だれも助けようがない。
抱きとめてくれる家族も、もういない。

世の中から逃げまどっていた家族である。
いろんな補助の「仕組み」からも取り残された私は、
いつも一人だった。
他人様の「哀れみの目」にさらされることがなかったのは、不幸中の幸いだろうか。

一人で起き、一人で食事をとり、空っぽの家を出て、
長い長い通学路を一人でたどるうちに
「そこらにいる高校生」の仮面をつけ、
「みんなと同じ」ように思われるよう、気をつけて過ごす。

遊びに誘ってくれる友人にはあれこれ言い訳をつけ、
長い長い通学路をたどって空っぽの家に戻り、
アルバイトをしていたパン屋の、廃棄処分の売れ残りを持ち帰り、
ボンヤリと一人で食事をし、風呂に入り、
片付けや掃除をし、宿題をし、一人で眠る。

冷たく重たい「不運」の轍がゆっくり通り過ぎていくような日々ではあったが
寒さに指先の感覚がなくなるように、
悲しみの感覚も麻痺していたように思う。

己の弱さを知っている私の心が、あえて
感覚を麻痺させてくれたのだろうか、とも思う。

ただぼんやりと周りを見、距離を置くこと。
我が身のことと比べないこと、
事実以上に不幸な物語に置き換えないこと…
それが、私にとっての鎧だった。

吹雪が少し収まり、
ようやく電車がきたのは、何時間後だったろうか。

そこから記憶は少し飛び、次は、とっぷりと夜に飲み込まれた自宅の最寄駅にて。

思い出すのは、なにもかも白く覆われ、車も人もおらぬ、ただひたすら静寂の夜の街の風景だ。
外灯に照らされたまっしろな雪を蹴りながら、
なぜか家とは反対方向に歩いていた自分。

あの夜私は、どこへ行こうとしたんだろうか。
そして私は、一人で泣いていたんだろうか。

……泣くことが、できたのだろうか。

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