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宮澤賢治からのメッセージ 「生徒諸君に寄せる」

2012.01.24 (Tue)
2012-01-17 11.06.03

諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である

諸君はこの時代に強ひられ率いられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか

今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や特性は
ただ誤解から生じたとさへ見へ
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ

むしろ諸君よ
更にあらたな正しい時代をつくれ

諸君よ
紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ

宙宇は絶えずわれらによって変化する
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか

新たな詩人よ
雲から光から嵐から
透明なエネルギーを得て
人と地球によるべき形を暗示せよ
 
新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て

     宮澤賢治:「生徒諸君に寄せる」から引用

……今の私よりも若い年齢で早世した宮沢賢治から、背筋が伸びる思いのメッセージを見つけました。
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コメント
■マーズさーん♪
そうなんですよ~。だーれもいないスキー場状態です(^^)
私も神奈川育ちの関東ウロウロだったので、雪=リゾート系のイメージしかなかったんですけど
ほんっとに、木の陰から出てくるのは鹿くらいで…。
こんなところにいながら、スキー板を持っていない自分がもったいない!と
思いつつ、来年こそはクロスカントリーデビューを果たしたいのでした(^^)
水砂子 | 2012.02.07 13:10 | 編集
お家の前の道!
お~まるでスキー場ですね~(笑)

九州で生まれ育ったので、たくさん雪が積もってるのは北海道や信州のスキー場でしか見たことないんです。それに大体そういうところは人が多くて賑やかなんで、この写真を見ても、木の陰からわらわらスキーヤーが出てきそうな気がします。^^;

こういうところで暮らすのってどんな感じなんでしょうね~体験してみたいです。
マーズ | 2012.02.07 00:37 | 編集
一刻 さま、ありがとうございます!

はい、この写真は家の前の道なのですよ。
一週間ほど吹雪が続いた後、ひさしぶりの青空の朝だったのです。
凍った路面の上に雪が積もったもので、除雪車も山のふもとで立ち往生して
だれも山に登ってこない/誰も降りる気配なし、という状態で静寂かつ清冽な朝でした。

この山には、夏にはよだかも来ますし、森や野原も多く、星も降るようなので
ときどき宮沢賢治氏が空を見上げている姿を重ねてみたくなるのです。

>実は未来から過去へ流れていると言うのが現代の見解のようですが
あ、なるほど、この考えにははっとさせられました。
もちろん、過去の積み立てが宝物になっていくこともありましょうが、
「自分自身で創り上げる未来」というかけがえのない事実を考えたときには、
過去の失敗や不成功に義理立てすることなく、きっぱりと次を見据える決意がしやすいですね。
気づきをありがとうございます。

一刻さんのおっしゃるとおり、ことばの間をぬっていろいろな思いが伝わってくるようで、
心優しき天才は、時空を超えて私たちを慈しみで満たしてくれるようです。なんともぜいたくなことですね。

こちらこそ、ありがとうございます!
水砂子 | 2012.01.30 00:53 | 編集
水砂子さん、こんにちは。
年も明けたことですし、もう1月も終わりを迎えるとあって、もしやと思い訪れてみたら、やっぱり記事が更新されていました。
写真は水砂子さんのお住まいの近くのものでしょうか?
荘厳さを感じさせる自然の風景ですし、今回引用なさっているメッセージにぴったりですね。

いきなりですが、私は昔、時間は過去から未来へ流れていると思っていました。
実は未来から過去へ流れていると言うのが現代の見解のようですが、宮澤賢治氏の表現を見ると、氏はそれをあたりまえのこととして実感していたように思えます。だからこそ常に未来を見据えていたのでしょうし、その未来は自分自身で創り上げるものという信念と、それを若者にも理解して欲しいとの思いがにじみでていますね。
しかも、自然からのメッセージに対する豊かな感性も感じられ、あらゆる事象についてとても感受性が高かったのだろうなと思われます。
夭逝したのも氏の精神性の高さが当時の精神性とあまりにもかけ離れていたからなのかもしれません。

私も氏が旅立たれた歳より一回りほど長く生きていますが、現時点でもこの様な文章を書く事は不可能。
まさに天才だったのでしょう。
言葉そのものが命を与えられて、文の裏に流れている思いまで伝えてくれている、そんな深みを感じました。
日本語って素晴らしいです。

ありがとうございます。
一刻 | 2012.01.29 23:26 | 編集
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